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桑田佳祐『風の詩を聴かせて』

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桑田 佳祐(くわた けいすけ、1956年2月26日 - )は、神奈川県茅ヶ崎市出身の日本のロックミュージシャン、シンガーソングライター。サザンオールスターズのリーダーであり、ボーカル・ギターと作詞・作曲を担当。所属事務所はアミューズ、レコード会社はビクターエンタテインメントタイシタレーベル所属。嘉門 雄三(かもん ゆうぞう)、桑竹 居助(くわたけ いすけ)、夷撫 悶汰(いヴ もんた)、古賀 紅太(こが こうた)などの変名を用いたこともある。


鎌倉学園高等学校卒業、青山学院大学経営学部除籍。身長169.5cm。A型の右利き。通称:「ケイちゃん」「桑っちょ」。妻は同じサザンのメンバーである原由子。1982年に結婚し、これまでに2男をもうける。


来歴


1956年 2月26日、神奈川県茅ヶ崎市に生まれる。


1977年 サザンオールスターズとして、アマチュアバンドのコンテスト「ヤマハEastWest'77」に出場。ベストボーカル賞を受賞。この時に決勝で対戦したのは、シャネルズの鈴木雅之だった。


1978年 6月25日、ビクター音楽産業よりサザンオールスターズとして『勝手にシンドバッド』でメジャーデビュー。


1979年 「オールナイトニッポン」(ニッポン放送などNRN全国ネット)木曜1部を担当。


1980年 スペクトラムのギタリスト・西慎司のソロアルバム『NISHI』をプロデュース。


1981年 生理用品アンネナプキンのCMに出演。 タモリのシングル曲『狂い咲きフライデイ・ナイト』を楽曲提供。 3月、渋谷eggmanにて、嘉門雄三の変名で『嘉門雄三&Victor Wheels』としてライブを行い、洋楽のカバーを歌う。メンバーは桑田・関口和之・斎藤誠・国本佳宏・宮田茂男・今野多久郎。原由子も1曲参加した。 自身がプロデュースした原由子初のソロシングル『I LOVE YOUはひとりごと』が卑猥な歌詞のため放送禁止曲に。ビクタービル屋上にて抗議のゲリラライブを行うが、警察が出動するなどの騒ぎとなる。


1982年 2月26日、原由子と入籍。28日には結婚披露宴も行う。会場にはファンを招待し、タモリ、ラッツ&スターなどの芸能人も出席した。 小林克也率いる「ザ・ナンバーワン・バンド」の1stアルバム『もも』にて曲を提供。また『六本木のベンちゃん』ではボーカルも担当。 中村雅俊に『恋人も濡れる街角』を提供。 12月31日、NHK紅白歌合戦での三波春夫パフォーマンスが物議を醸す。『チャコの海岸物語』でサザンとして2度目の紅白出場を果たした際のものであり、当時の「紅白=厳粛な雰囲気」という等式を打ち破るきっかけとなった。この時の間奏での桑田の発言は以下のとおり。「国民の皆様、ありがとうございます。私たち放送禁止もたくさんございますが、こうしていけしゃあしゃあとNHKに出演させて頂いております。とにかく、受信料は払いましょう! 裏番組はビデオで見ましょう!!」 研ナオコが歌った「夏をあきらめて」で第24回日本レコード大賞作曲賞受賞。 1983年 親交ある明石家さんまが「オレたちひょうきん族」で演ずるアミダばばあのために、『アミダばばあの唄』を提供する。 高田みづえがカバーした『そんなヒロシに騙されて』が第25回日本レコード大賞・金賞を受賞。 1984年 「オールナイトニッポン」に復帰。火曜1部を担当する。


1985年 ラッツ&スターのメンバー全員の合同結婚式において媒酌人を務める。このときリーダー・鈴木雅之の父との会話が、後1996年のアルバム(サザン名義)『Young Love』に収録される『心を込めて花束を』を生むきっかけとなる。 6月15日、佐野元春のライブに飛び入り出演。段取り無視のパフォーマンスに佐野はあっけに取られたが、怒ってはいなかったという。 10月、サザンのツアー「KAMAKURA TO SENEGAL」で共演したトゥレ・クンダへのお礼の為、アフリカ・セネガルへ渡りトゥレ一家の元を訪れる。この模様はドキュメント番組としてテレビでも放映された。 1986年 原の産休に伴いサザンは最初の休業期間に入り、各メンバーのソロ活動がはじまる。 4月、1年限定のソロプロジェクト「KUWATA BAND」結成、『BAN BAN BAN』でデビュー。桑田は音楽番組やライブで度々「新人です!」と強調していた。 12月24日、クリスマス・イヴの夜の生放送番組「メリー・クリスマス・ショー」 (日本テレビ系)をプロデュース。同番組で松任谷由実との共作『Kissin' Christmas (クリスマスだからじゃない)』を出演者一同で唄う。


1987年 10月6日、ソロデビューシングル『悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)』発売。以降ソロでの活動が続く。 ダリル・ホール&ジョン・オーツと「SHE'S A BIG TEASER」(シングル『いつか何処かで (I FEEL THE ECHO)』収録)・『REALOVE』(ホール&オーツのアルバム『Ooh Yeah!』収録)を共同レコーディング。 12月24日、前年に続き「メリー・クリスマス・ショー」プロデュース・出演。


1988年 3月16日、2ndシングル『いつか何処かで (I FEEL THE ECHO)』発売。 4月21日、河内淳一のアルバム『One Heart』に収録されている『Day After』と『恋に落ちた日 ~ANYDAY YOU LOVE ME~』にコーラスで参加。 6月25日、『みんなのうた』で、サザンでの活動を再開させる。 7月9日、1stソロアルバム『Keisuke Kuwata』発売。 8月、RCサクセションの問題作アルバム『COVERS』に参加。この時には桑竹居助なる変名でクレジットされている。この名義は1984年にサザンのファンクラブ会報『代官山通信』の署名でも使用されていた。 10月、山下達郎のアルバム『僕の中の少年』収録の『蒼氓』に原由子と共にコーラスで参加。 10月14日、ダリル・ホール&ジョン・オーツの東京ドームでのライブに飛び入り出演。 12月31日、『Keisuke Kuwata』で第30回日本レコード大賞・優秀アルバム賞を受賞。


1989年 映画監督に初挑戦。『稲村ジェーン』クランク・イン。


1990年 4月、NHK-FMにてラジオ番組『ミュージック・スクエア』スタート。火曜日のDJを担当。民放での番組とは違い下ネタなどの過激な発言は無かったものの、リスナーからのの投稿ハガキを読む『日本四方山話のコーナー』『句会のコーナー』、洋楽を1曲ピックアップし和訳を読み上げる『訳詞のコーナー』、テーマに添ってベスト3の楽曲を紹介する『My Count Down』などのコーナーが人気であった。また、一週おきにゲストミュージシャンを迎えてのトークも繰り広げた。出演は渡辺美里・奥居香・高橋幸宏・杉真理・嘉門達夫・アン・ルイス・松尾和子、プロレスラーの前田日明他。毎年年始には原由子も出演。1993年4月で担当を終了。 7月、『稲村ジェーン』クランク・アップ。映画公開までに、宣伝を兼ねて歌番組の他、ワイドショー・ニュース・トーク番組などに積極的に出演。また、試写会を藤沢市の海岸で行い、桑田も会場に登場し『恋はお熱く』を唄う。 9月7日、『稲村ジェーン』公開。 第32回日本レコード大賞のポップス・ロック部門において、ロック・ゴールド・ディスク賞、最優秀ロック・ボーカル賞、作曲賞を受賞。大賞にノミネートした「真夏の果実」は最終選考で「おどるポンポコリン」との一騎打ちに敗れる。


1991年 3月24日~26日、新宿のライブハウス「日清パワーステーション」で、洋楽ロックのスタンダードナンバーをアンプラグドで演奏する「アコースティック・レボリューション」を行う。メンバーは小倉博和、小林武史、キース、など多彩な顔ぶれ。 6月、小林武史・小倉博和・今野多久郎と共にゲリラライブを兼ねて中国・北京へと渡り、天安門広場にてボブ・ディランの「風に吹かれて」、SUPER CHIMPANZEEのオリジナル曲「クリといつまでも」、北京の某ライブハウスにてビートルズの「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」等を演奏した。この模様は後に桑田が出演した筑紫哲也 NEWS23などで放送された。この旅行は翌年のサザンの北京ライブへと繋がる。 9月26日、SUPER CHIMPANZEE名義で『クリといつまでも』発売。


1992年 6月27日、企画アルバム『フロム イエスタデイ』発売。KUWATA BAND時代のシングル4作が初CD化での収録となる。


1993年 10月6日、3rdシングル『真夜中のダンディー』を発売。サザン活動中のソロ名義でのリリース。 12月1日、世界エイズデーであるこの日、多数のアーティストを集めた「AAA~アクト・アゲインスト・エイズ」武道館公演を選曲・プロデュースし自らも出演。出演は泉谷しげる・大友康平・アン・ルイス・渡辺美里・福山雅治・原由子など、メリー・クリスマス・ショーにも匹敵する豪華な顔ぶれだった。バックバンドとして小林武史・小倉博和・根岸孝旨・小田原豊・今野多久郎が集い、昭和歌謡曲を中心に多彩なアレンジで参加者がリレー形式で唄った。また、桑田・奥田民生・宮田和弥(当時JUN SKY WALKER(S))・奥居香(当時プリンセス・プリンセス)をメインボーカルに、このライブの為に作られたチャリティーソング『光の世界』が唄われた。この後様々なアーティストが集う形式はAAAで恒例化して行くが、桑田がプロデュースしたのはこの1度きりである。昭和歌謡を多彩なアレンジで唄う形は後々の活動の原形となった。特にこのライブで初めて唄われた「ヨイトマケの唄」はその後のソロライブや自身のテレビ番組などでも度々唄われることとなる。


1994年 サザン2度目の休業期間に入る。 8月24日、4thシングル『月』発売。CD店などの告知ポスターには「桑田佳祐、今年は一人で歌います」とのコピーの煽りがあった。後年香港でジャッキー・チャンによるカバー曲が発売され大ヒット。 9月23日、2ndアルバム『孤独の太陽』発売。収録曲『すべての歌に懺悔しな!!』が、矢沢永吉と長渕剛を揶揄しているとされ問題となり、桑田が「あれは自分を含めた芸能ロックミュージシャンを歌ったもの」と釈明し、2人に対して謝罪。矢沢は「全く気にしてない。それより桑田君の方は大丈夫か?」と大人の対応をするが、長渕は『views』誌上にて「俺は桑田佳祐を許さない!」などとコメント。ファン、マスコミを巻き込んでの一大論争に発展。その直後、長渕が大麻の不法所持で逮捕され、なし崩し的に沈静化する。詳しくはすべての歌に懺悔しな!!による論争を参照のこと。 9月~12月、初のソロ名義全国ツアー「さのさのさ」開催。全国各都市で、サザンでは長らく行われていなかったホール・市民会館などの小規模の会場でのライブでファンを喜ばせる。ツアー期間中の10月28日には母校である青山学院大学において「帰って来た青山のダンディー」と題し、学園祭ライブも行う。この日は通常のセットリストに加え、原・関口と共に、母校の思い出を綴った『Ya Ya (あの時代を忘れない)』を唄う。 10月31日、5thシングル『祭りのあと』発売。 12月1日、AAA武道館公演に、出演者の1グループとしてサザンが登場しオリジナル曲5曲を演奏。ソロ活動中の同年において、久々にバンドとして、更に休養中の関口和之も復帰し、6人揃っての登場となりファンを喜ばせた。また、桑田佳祐&Mr.Childrenとしても『奇跡の地球』を初披露。 12月31日、「月」で第36回日本レコード大賞・優秀賞を受賞、『孤独の太陽』でアルバム大賞受賞。ソロツアー「さのさのさ」最終日、横浜アリーナにおいて年越しカウントダウンライブ。


1995年 1月23日、共に編曲などで交流のあった小林武史との縁により、Mr.Childrenと桑田佳祐&Mr.Children名義で『奇跡の地球(ほし)』をチャリティーシングルとしてリリース。前年AAAで披露されていただけに、ファン待望の作品化となった。 4月、「桑田佳祐のキヤノンFMワンダーランド~やさしい夜遊び~」(TOKYO FMなどJFN全国ネット)スタート。自身がパーソナリティを務め、現在も続く長寿番組になっている。 12月1日、Act Against AIDS'95をタイのバンコクにて開催。小林武史や小倉博和らと共に「真夏の果実」「悲しい気持ち (Just a man in love)」の他、ビートルズやジョン・レノンのナンバーなど計7曲を歌う。 12月31日、横浜アリーナで行われた岸谷五朗主催のアミューズのイベント『THE VARIETY III 異業種共演 大晦日の宴 ~FOR AAA』に出演。サザンとしての年越しライブに替わる出演で、桑田はカウントダウンの直前に登場。爆風スランプの演奏で「勝手にシンドバッド」を唄い1996年を迎えた。また、出演者の石橋貴明・唐沢寿明・岸谷五朗と共に「ゴロー&センズリッターズ」として桑田の書き下ろしの曲『長嶋は教祖なんかと違います』を唄い、唐沢は本業とは違うコミカルな一面を見せた。カウントダウンの瞬間は残念ながら年が明けるよりも数十秒も早く曲が終わってしまい、年が明けるまで出演者がMCのみで会場を煽ったが、かなり間の悪いものになってしまった。これは年を跨ぐ瞬間に合わせて演奏・演出など全てを合わせるのが非常に難しい事を表しており、サザンでの年越しライブが時間調整などを含めていかに高いレベルでライブが作られているのか改めて分かる結果ともなった。


1996年 4月、斎藤誠のシングル『今 僕を泣かせて』にコーラスとスライドギターのソロでゲスト参加。


1997年 9月、サザンが影響を受けたバンドであるリトル・フィートのギタリスト、ローウェル・ジョージのトリビュート・アルバム『ROCK AND ROLL DOCTOR』のレコーディングのため渡米。「日本人でリトル・フィートのカバーを任せられるのはこの人だけ」と、唯一の日本人ボーカリストとして抜擢され「LONG DISTANCE LOVE」を歌った。10月には同アルバムが日本でもリリース。 10月、桑田がAAAで『サルビアの花』などをカバーした事もある早川義夫に、書き下ろしの新曲『アメンボの唄』を提供。作詞曲の他、ギター・コーラスでレコーディングに参加。テレビ朝日系バラエティー番組『人気者で行こう!』エンディングテーマに起用され、早川と共に桑田も番組のエンディングに出演していた。 「アクト・アゲインスト・エイズ'97 ~歌謡サスペンス劇場~」にて長らく放送禁止曲とされてきた岡林信康の『チューリップのアップリケ』を熱唱。その模様は深夜とはいえテレビで放映された。


2000年 5月、山下久美子のデビュー20周年記念セルフカバーアルバム「THE HEARTS」に収録される『バスルームから愛を込めて』にコーラスで参加。アルバムは6月25日に発売。歌詞カードには山下と桑田が一緒に写ったポラロイド写真も載っている。 8月、自身の故郷・神奈川県茅ヶ崎市でサザンとして凱旋コンサートを行い話題を呼ぶ。 10月、「桑田佳祐の音楽寅さん~MUSIC TIGER~」(フジテレビ系)放送開始。 12月31日、サザンの大ヒット曲『TSUNAMI』で第42回日本レコード大賞を受賞。「やっと、ひばりさんの背中が見えました」とコメント。


2001年 サザン三度の休業期間に入り、各メンバーソロ活動を開始。 7月4日、6thソロシングル『波乗りジョニー』発売。発売に合わせ、地方都市でFMラジオ公開生放送と、ライブ『古賀紅太NoReason!ライブハウスツアー』とを同時進行の形で行う。ラジオ放送は各地で数千人もの観客を集め好評を得た。ライブはサザンとしての全国ツアーに替わる企画で、佐賀・青森・奈良など、それまでツアーで行く事が少なかった土地でも行われ地方ファンを喜ばせた。 8月7日、ラジオ番組内で、大森隆志のサザン脱退を発表。「プロになる気は無かったメンバーをまとめ、プロの世界に導いたのは大森。彼がいなければ自分達は世に出る事は無かった」と語る。 10月24日、7thシングル『白い恋人達』発売。桑田ソロ名義のシングル最高売上を記録。 12月6日、やまだひさしのラジアンリミテッドの企画でGLAYと競演。この模様は「桑田佳祐 meets GLAY スーパーFM」としてOAされた。最後はジョン・レノンの『Happy Xmas (War Is Over)』をGLAY、番組スタッフを交えて全員でセッション。 12月22・23・24日、札幌市の月寒グリーンドームでクリスマスライブ開催。当初は札幌ドームを借りるつもりでいたが計画したときには既に埋まっており、ライブのMCで月寒ドームになってしまった事をぼやいていた。ライブではサザン・ソロ・KUWATA BANDの楽曲の他、『サンタが街にやってくる』『赤鼻のトナカイ』等のクリスマスソングも唄われた。また、24日のライブ終了後にはフジテレビ系『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』のクリスマス特番の生中継も入り、会場の外で一面の雪とライブを見ていたファンに囲まれ『白い恋人達』をピアノ弾き語りで唄った。31日、「白い恋人達」が第43回日本レコード大賞金賞受賞。最有力候補だったが授賞式を欠席。大賞は浜崎あゆみに。


2002年 『波乗りジョニー』『白い恋人達』の2作で、第16回日本ゴールドディスク大賞 ソング・オブ・ザ・イヤー受賞。 6月26日、8thシングル『東京』発売。ファンクラブ誌上にて「石原慎太郎に物申すみたいな気持ちで作った」とコメント。 8月10日、茨城県ひたちなか市で行なわれた邦楽ロックの音楽祭・ROCK IN JAPAN FESTIVALに参戦。2日目のトリを務める。未発表の新曲『BLUE MONDAY』『東京ジプシー・ローズ』(翌月発売のアルバムに収録)他、全14曲を熱唱。 HOUND DOGのSHIBUYA-AXでのライブに飛び入り出演。大友康平とサザン初期の楽曲、『熱い胸さわぎ』収録の『恋はお熱く』を歌う。 9月22日、スペースシャワーTVの日比谷野外音楽堂でのライブイベント『SWEET LOVE SHOWER』にトップバッターで出演。当日までシークレット扱いで一般には一切知らされておらず、観客を驚かせた。桑田はプロレスの覆面を被って登場し、全5曲を歌唱。 9月26日、3rdアルバム『ROCK AND ROLL HERO』発売。 コンサートツアー「けいすけさん、色々と大変ねぇ。」スタート。ソロアーティストとして初めて全国5大ドームツアーを開催。 11月27日、初のソロベストアルバム『TOP OF THE POPS』発売。ソロ名義で1980年代、1990年代、2000年代と3世代に渡ってオリコンアルバムチャート1位を達成。3世代以上での1位は男性ソロでは長渕剛(1970年代を含め4世代)、井上陽水(3世代)に次ぐ3人目の快挙。


2003年 『東京』で第17回日本ゴールドディスク大賞 ソング・オブ・ザ・イヤー受賞、『ROCK AND ROLL HERO』と『TOP OF THE POPS』の2作がロック & ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。 2月、『東京』が「SPACE SHOWER Music Video Awards 03」BEST VIDEO OF THE YEARを受賞。 7月23日、『涙の海で抱かれたい~SEA OF LOVE~』をリリースしサザンでの活動を再開。 11月、桑田の息子が通う高校の学園祭でシークレットライブを行い、『勝手にシンドバッド』『涙の海で抱かれたい』等を歌った。この模様は女性週刊誌で報じられた。バンドメンバーは桑田の他に原や小倉博和・三沢またろう。4人とも学校の制服を衣装としていた。


2006年 7月17日、ゆかりのある小林武史、Mr.Childrenの桜井和寿らが主催する「ap bank fes'06」にソロとして出演。最終日となるこの日は、桜井と1995年に発売された『奇跡の地球』を11年ぶりにセッションし、話題となった。ソロでの出演であったが、サザン名義での楽曲『いとしのエリー』『真夏の果実』も披露した。 8月26・27日の2日間、桑田がサザンを中心としてアミューズ所属のアーティストに呼びかけ、初の自身主催となる野外フェスティバル「THE 夢人島 Fes.2006」を開催。アミューズ外からもGLAY、Mr.Children、Dragon Ash、更には加山雄三など桑田とゆかりのあるアーティストがスペシャルゲストとして出演。 12月2日、Act Against AIDSに出演。テーマを「星条旗よ永遠なれ!? ~私のアメリカン・ヒーローズ」とし、桑田が影響を受けた1960~70年代のアメリカンミュージック37曲を熱唱した。


2007年 約5年ぶりにソロ活動を再開。 5月16日、9thシングル『明日晴れるかな』発売。 8月22日、10thシングル『風の詩を聴かせて』発売予定。 2002年の「けいすけさん、色々と大変ねぇ。」以来5年ぶりとなるソロコンサートツアー開催が決定。期間は11月下旬から大晦日までの6都市14公演を予定。 wiki



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